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子どもの発達・学力全般

思考は経験値を上げ経験は許容範囲を広げる

この記事は、子どもの成績UPを望んでいる保護者の方や、人間関係で悩んでいる方に特に読んでいただきたい内容です。

「経験値=人生の柔軟性の幅」である

人生の豊かさは、許容できる範囲の大きさと深く関わっている

「わからない。」
「許せない。」
「こうあるべき・これが普通」

こうした気持ちから、相手の言動を受け入れずシャットアウトしてしまうことは、案外、多々あるのではないでしょうか。
私自身も若い頃はそうでしたし、恥ずかしながら今でも時折、まだそうしたことに縛られていることに気づくこともあります。

たいてい、このような気持ちで感情的になってしまうのは、
「自分目線だけで世界を見ているから」
と言っても過言ではないように思います。

しかしながら、許容範囲が狭ければ、それだけ経験できることの幅も狭まります。
経験の幅が広ければ広いほど、多角的な視野を持つことができます。(特定のフィールドだけ経験が多い、というのとは異なります。)

多角的な視野を持てるということは、新しい人やチャンスとの出会いなど、さらに様々な経験への呼び水になっていくのです。

経験値の少ない人は、多角的に思考したり想像することができない

相手にも自分と同じ時間が流れているという妄想

どうせ私のことなどどうでもいいと思っている

例えば過去、実際にあった例を挙げてみますと、私は仕事関係の人が多く使用しているため、Facebookを利用していました。

次第に  ”お友だち” 関係の人が増えていくと、”タイムライン”に掲載される情報量もどんどん多くなっていきます。
多忙なため、数日に1回(下手をしたら、数カ月に1回)しか開けず、久しぶりに閲覧しに行くと、膨大な量の様々な人の投稿が流れてきています。

そのため、どうしても見落としてしまう投稿も相当数出てしまいます。
全員の投稿を拾おうとしたら、仕事を完全にそっちのけで、毎日朝から晩まで、Facebookをやっていかなくてはなりません。

これに対して、ごく身近な人とだけやり取りをしている方は、お友だちの人数も20人前後だったりします。
人数が少ないと、たとえ数日ぶりにFacebookを開いたとしても、丁寧にそれぞれの投稿をじっくり見ることができます。
”いいね” や ”コメントに対する返事” なども、ほとんど漏れることなく、リアルタイムに近いタイミングでやり取りすることも可能でしょう。

「その感覚」でいるので、膨大な量の情報を前にし、かつ経営者として様々な業務をこなしつつ(これも同じ立場での経験がないと、説明しても伝わりません)、時折しかFacebookを覗くことができない人との「感覚の差」が全く合わなかったりします

その結果、

「自分は嫌われた」「自分は見放された」「自分はどうでもいいと思われている」

というように解釈し、
「お世話になりました。さようなら。」
といった内容のメールを突然一方的に送りつけてきたりするのです。ㅤㅤ
ㅤㅤ

○○すべきなのにそうしないなんて、信じられない!

こんなこともありました。

ある生徒の方の受験の日。
その日は、国語塾の授業そのものがなかった日でもあり、私の長男が沖縄で倒れ、緊急入院していると知らせを受けて、急ぎ飛行機で東京から沖縄へ飛びました。

沖縄県内で非常に離れたところにある病院と長男の住まい、役所や職場などを回る必要があったため、車を往復12時間も運転し続けていたという、とても過酷な日でもありました。

運悪く、飛行機内では電波がつながらなかったこと、長時間の運転が続いたため、携帯電話を確認することがほとんどできなかったこと、いざという時のためにノートパソコンも持参していましたが、メールがその日に限ってうまく受け取れなかったことなど、様々な状況が重なり、そのお母様からの連絡を受け取ることができなかったのです。

最終便で東京に飛んで帰り、這う這うの体で事務所に着きメールを開くと、そのお母様から怒りを露わにした感情的なメールが入っていました。

「どの塾の先生も、子どもの受験日には休みなど返上して報告を待っているものだ。連絡がつかないとは何事か。」
と。

基本的に私は休日も、営業時間外も、このようなこともあるのでメールは確認できるようにしています。
たまたまこの日に限って、普段起きないような様々なことが重なってしまったわけですが、そうでなかったにせよ、相手の事情も確認せずに頭ごなしに感情的になり、それをぶつける、というのはあまりに相手側の視点がないなと感じます。

ㅤㅤ
こうした例は枚挙にいとまがありません。

そして、こういうことを一方的にぶつけてくる相手の方の中には、こちらの言い分に全く耳を貸そうとしない人も一定割合います。

もし、こうした方々が、逆のシチュエーション(当時の私と同じ状況)を経験していたなら、
「こういう可能性もあるかもしれない」
とちょっと想像することができたのではないでしょうか。

これらはほんの一部の例ですが、こうしたことに共通しているのは、

”自分の経験が全てという驕り・大きな思い違い” が引き起こしている、視野の狭さ

だと思います。 ←自分でも書いていて耳が痛い部分もある…

 

トラウマと経験値は違う

トラウマとは視野を狭くし、心と体を固くするもの

さて、ここで話は少し逸れますが、私は経験値とトラウマは違うと考えている、ということを少し書きます。

経験値、というのは、それによって自分の生きる力がUPする「スキル」の部分だと思っています。

これに対して、同じ経験ではあっても、
「トラウマ=心の深い傷」
は、経験値とは逆のベクトルのものです。

経験値が未来を豊かにするものであることに対して、トラウマは、新しい一歩を踏み出そうと試みても、何度も繰り返し繰り返し過去に引きずられ、未来へ向かうことを阻んでしまうものです。

例えば、
「こういうことをされて傷ついたから、自分は相手にしないようにしよう」は経験値、
「こういうことをされて傷ついたから、それに関係することが一切できなくなってしまった」はトラウマです。
ㅤㅤ

経験値は想像することでも培うことができる

子どもでもスイッチさえ入れてあげれば開花する

多くの子どもたちを指導してきて痛感することは、難解な入試問題を解く力はあっても、本質的なことに対する思考力・想像力は幼く未熟な子が圧倒的に多いということです。
おそらくそれは、考える必然性がなかったからであり、それが一般的なのだと思います。

では、子どもだからできないのか、というと、そうではありません。
環境やその子の性質などにももちろん大きく左右されはすると思いますが、子どもにはスイッチさえ入れてあげれば、開花する思考能力が備わっています。

孤独とは何か、愛とは何か、家族とは何か、友とは何か・・・

たとえばそうしたことは、小学4~5年生の頃からでも十分考えることができます。
大切なことは、今答えが見つからなくても良いので、思考し始めるスイッチを入れてあげることなのです。
実際にそのように導いてあげた子ども研の生徒たちは、2年、3年と経つにつれて、見事な思考力・表現力を身に着けていきます。

思考力は人生の経験値と直結する

本質的なことに対する思考力が備わってくると、ものの見方がぐんと深くなり、また広くなります。
その状態で様々な書物を読んだり、情報に触れながら、文化、経済、時事問題などを考えていくからこそ、さらに想像力・表現力もついていくのです。

同時に、その火が消えないように工夫してあげることも大切です。
子ども研の国語塾では、そうしたことを最も大切に考えたプログラムを組んでいます。

大人の方であっても、小論文コースや、思考機能展開コースなどは、思考力を鍛えるのに非常に役立ちますので、お子さんだけでなく、成人の方・保護者様であっても、ぜひご受講いただけたらと思います。

子ども研の国語塾

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