パラレルワールドに移動した?実話(体験談)
国語とは全く関係のない、代表倉澤の体験談(実話)です。引き寄せの法則や無意識の力に興味がある方はぜひご一読ください。大変不思議なエピソードです。こういうお話に懐疑的な方は、単なる物語として読んでいただければ幸いです。
絶対にありえないことが起こった!
再婚の報告をしに行ったお墓参りで…
行きなれた場所のはずなのに
私の旧姓は小宮といい、菩提寺は東京スカイツリーの真ん前にあります。
その菩提寺は400年以上続いているもので、代々、”小宮家”のお墓を守ってもらっているお寺です。
恥ずかしながら私は今年の2月に再婚をしまして、その報告に、小宮家・倉澤家それぞれの家のお墓参りに行きました。
私の両親が入っているお墓も先述の菩提寺内にあり、父は6人兄弟の長男だったため、墓守を必死にやってきました。
法事は33回忌までそのお寺で行いますから、曾祖父母・祖父母4人の法事ともなると、少しずつ亡くなった時期がスライドしているため、毎年のようにこのお寺での法事に参加しなくてはなりません。
そういうわけで、お彼岸やお盆なども時期も含め、幼い頃から私は、このお寺へは本当にしょっちゅう連れて行かれていました。
そこは非常にこじんまりした墓地で、私が幼い頃はどこもかしこも、小宮家の墓ばかりでした。
あそこのお墓は、本家から分家した何々家だとか、このお墓は、何代先の誰々だとかいったことまでわかるような場所でした。
ようするに、”迷うことなどない、勝手知ったる場所”だったのです。
お墓がない
ところが、この日、いつものように両親や祖父母などが眠っているはずのお墓に向かうと、お墓が見当たらないのです。
目印になっていたものをたよりに、記憶にあった場所を何度もぐるぐる探しましたが、無いのです。
絶対にそこにあったはずなのに、無いのです。
あれほど一生懸命、父が守ろうとしていたお墓が、忽然と無くなっていました。
「お墓参りに行ったら、墓が跡形もなく無くなっている…」
というのは、結構な衝撃です。
お寺の住職の奥様がいらしたので訪ねてみると、ちょうど去年の7月下旬頃に、父の弟が墓じまいをしたとのこと。
150年以上続くそのお墓は、東京大空襲にも耐え(お墓には空襲を受けた跡が残っていました)、父が一生懸命守り続けてきたものです。
それが跡形もなくなくなってしまったことは、悲しいことだとも思いましたが、お金も結構かかりますし、時代的にも難しいものがあったのかもしれません。
何かがおかしい
ありえない異変が起きていた
さて、本題はここからです。
完全に目的を失ってしまった私と夫は、しばらくどうしたものかと考えましたが、同じ墓地内に私のいとこのお墓があるので、せっかく来たことだし、いつもやっていたようにそこをお参りして帰ろうということにしました。
このいとこは、私が16歳の誕生日に、たった1歳で突然亡くなってしまった女の子です。
誕生日にその知らせを受けただけに、鮮明にその時のことも覚えています。
小さな墓地なので迷うはずもないのですが、そのお墓の位置も記憶とは少し違った場所にありました。
そのため、探すのに時間がかかってしまい、それも少し奇妙で、アレ?とは思いましたが、もしかしたら自分の記憶違いだろうかと思いつつ、改めて彫刻された文字を確認しました。
すると!
なんと墓石に刻まれた名前は合っているのに、なぜかたった一日、日付が違っていたのです。
四月十二日ではなく、四月十一日と刻まれていたのです!
絶対にありえないと断言できる理由
私は目を疑いました。これはあり得ないことなのです。
なぜなら、絶対に、その数字を記憶間違いするようなことはないからです。
その女の子が亡くなった日は、先述通り、私の誕生日(4月12日)でした。
私は、実は里子としてもらわれていった身で、大人になってから血がつながっていないこと、本当に生まれた日は、2月12日らしいということを知らされました。
産みの母が届け出を出さなかったので、本当の母子手帳を始め、生後9カ月までの記録は一切ありません。
里子にもらわれていく時に母子手帳を完全に捏造した上に、役所に届け出を出す時に、本当の誕生日ではない月に届け出を出したとのことでした。
だからこそ私にとって「12日」という数字は大変大きい意味を持っているのです。
それしか自分のアイデンテティがないといっても過言ではないほど、とても重要な数字なのです。
ちなみに、随分後になって知らされた実の祖母のお墓詣りに行ったことがあるのですが、その祖母の命日も12日だったこと、
育ての母の命日も12日だったことから、12という数字が何らかのご縁を示してくれているのではとも思っていました。
そうしたいきさつもあって、お墓参りに行く度にその女の子の命日になった12日という数字が目に入り、この女の子とはどんなご縁だったのだろうと毎回毎回、考えていたのです。
その女の子のためだけに建てられた新しいお墓には、戒名とその命日しか刻まれていなかったので、とても目立つのです。
十二日という文字を指でなぞって確認したこともありました。
「もしかしたらここ数年の間に風化して、十二のうちの “一” の部分だけ埋まってしまったのか」
「砂などが詰まってそのように見えているだけなのか」
などと思いながら、指でその数字をなぞってみたりもしたのですが、つるつるの表面で、最初から十一と彫刻されていたことは疑いようもない状態でした。
私は何が起こったのかよくわからないまま、ボーっとしつつ帰路につきました。
変化の予兆はあった
感じた違和感
実は、ちょうど父の弟が墓じまいをしたとされる同じ頃=前年の7月下旬頃を境に、アレ?と思うささやかな変化はあったのです。
もちろん、その時は、墓じまいをしていたなんて知りませんでしたが。
「私の人生の登場人物がどうもほんの少しだけ違うようだ」
といえばいいでしょうか。
その変化に至るまでの経緯はこうです。
心身ともにかなり追い詰められていた
その頃、私は公私ともに様々な問題を抱えており、精神的にかなり追い詰められていました。
「どうしてこんなに人生、苦しいことばかりが続くのだろう」
「何とか現状を、未来を変えられないものか」
と悶々としていました。
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無意識が現実を創り出しているという説があります。
最近特に多くの人が語り始めたように思いますが、私は、昔から数えきれないくらい不思議な体験をしてきており、その説は実感としてとても納得のいくものであったので、
「私のどの部分が、まだこうした苦しい現実を創り出しているのだろう」
と、今までは直視しないできた ”私自身が生まれてきたこと” について、向き合ってみようと思ったのです。
手帳に望んでいるイメージを書き出した
とはいっても、やってみたことは実にシンプルでした。
小さくて薄い手帳を用意し、そこに、現在不安に思っていること、心配していることを全て、大丈夫と思える言葉に置きかえて書き出していきました。
たとえば、最も私の心配の種である長男のことについていえば、
・長男は健康に暮らしている
・長男は信頼され愛されている
・長男は自立している
などといったように。
そして、彼の良い面、がんばったことを書き連ねていくこともしました。性格的なことだったり、勉強や運動で良い成果を出したことだったりです。
長女についても同じように書きました。
そして最後に、自分自身のことも、子どもたちについてやったことと同じように書き出していきました。
幼かった私を私が認め直すといった感じでしょうか。
・がんばったね
・えらかったね
・大丈夫だよ
などというようにです。
ついに自分の胎児の頃にもアプローチ
そうしているうち、次第に自分の記憶が残っている幼い頃だけでなく、
「生まれ出てきた瞬間からもらわれて行くまでの間、そして突然知らない人たちの元に預けられた、赤ちゃんだった私はどんなに心細かっただろうか」
など、記憶こそないけれども自分のもっと根源にまで、自然と思いを馳せはじめていました。
そして、胎児の頃の私はどうだったのだろう?とふと思ったのです。
「もうすでに望まれていないことを感じ取っていたのだろうか」
と思うと、とても切なくなりました。
そして、何となくこのあたりに、もしかしたら自分の今の人生とつながる根源があるのかもしれないという予感がしたのです。
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私は、母親の胎内にいる私をイメージしながら、キラキラしているもの、輝いているもの、もっと大切に受け入れられ磨かれてよいもの などという言葉とともに、”丸い球の絵”を手帳に描きました。
表現は難しいのですが、
「今の自分につながっているだろう記憶のイメージを、全て一から思うように書き換えた」
といったら伝わるでしょうか。
新しく生まれ直そう 自分の人生は自分で創っていいんだ そう心に決めたのです。
体が変わったのを皮切りに様々なことが変化
すると、それから1週間もたたないうちに私は新型コロナウィルスに感染し、1週間、高熱とひどい全身の痛みで、ベッドで寝たきりの状態になってしまいました。
そのコロナから回復してからなのです、何かが少し違っていたり、あるいは徐々に変わり始めたりしたのです。
自分と関わる人たちが、少しずつ入れ替わりました。
心のどこかで私が不信感を抱いてしまった人たちは、それまで結構な頻度で連絡が来ていたのにも関わらずスーッと離れていき、反対に、私が ”こうしたいと手帳に書いた仕事のビジョン” に関係のあるお仕事を持ってきてくれる方が登場し始めました。
引き続き関わってくれている人たちは、それぞれ以前より仕事やプライベートの状況が少し良くなっており、それまでのお付き合いと距離感が変わりました。
また、もうこのままずっと動かないのだろうかとも思われた、何年も膠着していたことが、突然すぅ~っと動き始めました。
そしてそれに関わっていた(その問題を引き起こしていた要因になっていた)人たちのキャラが、なんというか皆、若干ずつ良い人に変わっていたのです。
例えていうなら、10年近くも頑なに無視し続けていた人が急に「元気?」と話しかけて来たり、完全に上から目線で敵意丸出しだった人が、敬意や好意を示して来たり・・・
あくまでも例えではありますが、そのような変化といえばわかりやすいでしょうか。
心身ともに非常に危うく不安定だった長男、長女も、共にしっかり自立し、私が何の不安も抱かないほど頑張れる人として安定した日々を送っているのです。
これが最大の変化でした。
お子さんが不登校だったり神経発達症(発達障害)だったりで長年悩んでこられた保護者様ならご共感頂けると思うのですが、
彼らの未来に対する不安が、
”今の記憶と情報を持っていれば、もっと子どもたちに寄り添ってあげられたのではないか、もっと違う道に導いてあげることができたのではないか”
という、過去へのどうしようもない後悔へとつながり、吐きそうなくらい押しつぶされそうな夜を毎晩のように迎えていた私にとって、そうした不安が無くなったことというのは、本当に本当に大きい変化でした。
時が変わるサイン?時計が狂う
そういえば後から思い出したことなのですが、とても面白い現象がありました。
新型コロナウィルスに罹患し、回復してからテニスに行った時のことです(毎週末、テニスをやっている)。
そこにはコートが4面あって、どこからも見えるように、とても高い位置に大きな時計があるのです。
特別なハシゴでもないと、届かないような高い位置です。
その時計の針が、後にも先にもその時だけ、おかしな狂い方をしていたのです。
短い針と長い針が逆になっていたのです。
誰かがいたずらでできるような位置ではないので、何らかの理由で狂ってしまったのだと思いますが、時間が進みすぎたり遅れすぎたりするという狂い方はあっても、その狂い方はめずらしく、とても奇妙に感じました。
「時間の流れ方がこれから変わるよ、というサイン」
のような気がして、なんだか象徴的な出来事のようでした。
望んでいた世界に生きている
実は、墓じまいをしたとされる前年夏に、時を同じくして私が育った家の跡地に新しい家が建ちました。
全く見なれない風景が、あたかも最初からそうだったようにそこには広がっています。
私に紐づいていた小宮の歴史や記憶がするすると無くなっていくようでした。
こうしたこととタイミングを合わせたかのように、とんとん拍子に再婚と新居が決まり、私の新しい人生がスタートし始めたのです。
私は物心がついてからずっと長いこと、問題を抱えていた育ての母(今思えば境界性人格障害を患っていたのだと思います)と、それにより苦しんできた私を見て見ぬふりをしてきた小宮家とのつながりが、とにかく重くて重くて苦しく、手放したいと思って生きてきました。
自分の子どもたちのこと、仕事のこと、長いこと動かなかったトラブル…
そうしたことに加え、生まれてから今日まで引きずってきた苦しい縁からも解放されるという、様々なことから同時期に軽やかに開放された現実に今自分はいて、
”何か生きる世界が急に変わってしまったな”
と感じ始めていたところに、お墓に彫刻された数字が一日違っていた事実。
続く違和感を自分なりの理由で納得しようとしてきましたが、さすがにこの事実だけは自分の中ではどうしても消化しきれず、なんだかすぐ隣のパラレルワールドに突然フッと入り込んでしまったようで、数カ月経ってもまだ、心の整理がつきません。
きっと誰かに聞いたところで、正確な回答など得られないのだと思うのですが、それでも聞かずにいられません。
皆さんにもこんな経験はありますか?