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発達障害克服までの道のり~子どもが成人した日に

波乱万丈の出産

2000年5月某日、長男のトビさんが誕生しました。
今からちょうど20年前です。

義父の作った大借金が元で様々なトラブルに巻き込まれ、ほとんど元夫が不在の状態で過ごした妊娠期間。

そんな中、血がつながらず、私の存在を疎ましく思っていた母から、ひどい扱いを受けて育った私の母との関係を、
「なんとか出産前に少しでも解消したい」
「同じ思いを生まれてくる子にさせたくない」
と、母宛に心を込めた手紙を書いたのですが、伝わるどころか母が激高しすぎ、
血圧が上がり倒れ入院した、との知らせを受けた日。

「生まれてくる子を、元夫も、義父母も、私の育ての両親も、大切に扱ってはくれないのか。」
といった深いショックを受けると同時に、お腹がみるみる固くなり、収縮を始めてしまいました。

そこから突然破水し、慌てて病院へ。
16時間かかってのお産。
まだ予定日より1カ月早い早産でした。

小さく生まれてしまったためしばらく保育器に入ることになり、子どもに申し訳ないという思いと、寂しい思い。

そしてさらに、
なんと出産の知らせを受けて病院に来る途中、義母が交通事故に遭ってしまったのです。
夫も家族も皆そちらへ。
妊娠中に抱いていた想像では、皆のお祝いの笑顔であふれているはずだった産院の個室で、たった一人、新しい命を生んだ直後の気持ちの高ぶりだけが消えない中、ひどく孤独だったことを思い出します。

24時間戦いますか

当時はまだ、発達障害ということが今ほど知られておらず、初めての子だったこともあり、彼が小学5年生になるまでは、想像を絶するほど手のかかる育児の理由がわからなかったのです。
この苦労が全て、今の仕事につながっていること、多くの方に大なり小なり救いを与えることとなるのですから、人生はわからないものです。

2人三脚で乗り越えた日々



小学5年生の時に病院で診断を受けてから、私が在宅で仕事をしつつ、マンツーマンで彼に寄り添い、あの手この手で改善を試みました。

最初に始めたのは「脳トレ」の一環として位置付けたピアノです。

最初は、指を1本1本動かせず、うちわで鍵盤を叩いているような有様だった子が、たった1年ちょっとでここまで弾けるようになりました。
指が動かせるようになってくると、同時に「理解力・運動能力」が劇的に向上してきました。

数メートルでどんどん体が立ってしまい、全く泳げなかった子が、やはり1年程度で平泳ぎ・クロールともに数百メートル泳げるようになりました。
学校のプールの時間内だけでの変化です。

また、勉強においても理解できる問題が格段に増えてきたのです。

当時はスマホがなく、ビデオカメラでの撮影だったので本人が嫌がったため、全く弾けなかった頃の動画がないので残念ですが、改めて、
「指先の動きは脳の活動と直結すること」
を痛感します。

成功した重要なポイント
ピアニストにするためではなく「あくまでも脳トレ」の1つと割り切り、
・楽譜は読めなくても良い
・指づかいがおかしくても気にしない
・やってみたい曲をどんどんやってよい
・たくさん褒める
ようにしました。

発達障害が食事で改善することを知る

食事や脳トレなどによって発達障害の症状が改善することを知り、ブログでUPし始めたのが2014年の7月でした。
もう6年も前になりますね。

当時、多くの方が読んで下さり、希望を得たとたくさんの反響をいただきました。

今でも変わらずメルマガやブログを読んでくださっている方の中には、これら写真は懐かしく思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

BEFORE(食事改善前)

BEFORE(食事改善前に書いていた字)

AFTER(改善9か月後)

AFTER(改善1年後)

分子栄養学から量子生物学へ。急速に自立へと転換

分子栄養学をつきつめていった先には、量子生物学の世界がありました。
当時のブログ記事を読んで下さっていた方の多くは、あまりに展開が早くなり、驚かれた方も少なくないと思います。
私自身も、私の元で講座を受けて下さった方の多くも、人間の秘めたる力のすごさと、無意識下での活動がいかにその人や家族の在り方に大きく影響を与えるか、ということを実感することになります。

長男トビさんは、受験を乗り切り、都立高校へ進学後、みるみる自立を始めました
アルバイトで稼いだお金で、自分専用の炊飯器や食材を買い、自炊。

ちなみに、なぜ子どもの発達デザイン研究所が量子の世界を扱うようになったかについては、量子生物学という見地から、ご協力いただいている大学教授陣にも校閲していただいたりインタビューしたりなどしつつ、今年度、継続的に特集記事をUPしていく予定です。

自分が変化する時は起こる事象も大きく変化

相談を受けた時に撮影した写真
(トビさんはノンアルコール、私はワインで語り合う)

トビさんが高校3年生の夏。

「高校を中退したい」

という相談を受けました。
学校へ行き続ける意味が分からないと。

真摯に話し合いを重ね、最終的に、彼を信じ、彼の主張を受け入れることにしました。

ブログには書きませんでしたが、そこからの道のりも、平坦ではありませんでした。
(おそらく、ここが「一番知りたいところTOP3」に入るのではないかと思います。)

学校へ行くことに興味を失くし、似たような環境にいる子たちと過ごす時間が増えることで、どんなことが起こるのか。

細かいことはまた別途、記事にしたいと思いますが、わかりやすく簡単に言ってしまうと次の2つのことが起こりました;

1.自分の生きる意味や居場所を見つけにくくなり、躁鬱状態を繰り返す
2.より高額な収入を得ようと、肉体労働がきつい職種や、水商売などに興味を持つ

たとえば、夜などに免許を持っている年上の子が運転するバイクや車に便乗し、首都高速をものすごいスピードで走り回ったり。
逆に、半月前後、殻に閉じこもってすべてを放棄し、死んだように眠ったり。

私自身も若い頃、車やバイクに走り、クラブでのホステスとして夜アルバイトをしていたことなどもあったので、彼の心の奥底にあるものがよく理解できました。
そのため、頭から否定することはせず、ただ、

「どうすると命に危険が及ぶか・絶対に超えてはいけないラインは何か」

だけを伝えるようにしました。
実際に経験した者としての声だったこともあり、少しは響いているようです。

高3で高校を中退した後、数カ月、危うい日々を過ごした彼に、かつて私が仕事で長く関わったことから、沖縄行きを提案、年が明けてすぐのお正月に、彼は沖縄に一人旅立ちました。


ところが、慣れない環境・食事・人間関係の中、急性大腸炎を起こして1週間入院

その後、沖縄では車なしでは生活できないため、合宿免許で車の免許を取るも、1カ月後に交通事故

たった1年の間に、
高校中退・東京から沖縄へ一人移住・慣れない環境での入院生活・交通事故
(他にも実は細かいことが多々あり)
といったことが起こりました。

ここで東京へ強制的に連れ戻す、という選択肢もあったのかもしれませんが、彼は、
「もう一度やれるところまでやってみたいので、チャンスを下さい」
と申し出たため、それを信じることにしたのです。

ここが
「人生の分岐点における匙加減」

だったと思います。

可能な限り、いつでも
「きっと君が考えて出した結論だから、信じているよ。」
というスタンスでいること、またそういう言葉をかけることを心がけるように意識しました。

そうすることで、私自身も、軸を見失わないようにしていたのだと思います。

「君を信じている。」
「君なら大丈夫。」

と。

願いは叶っている

トビさんが成人したこの日を迎え、色々とアルバムを見返したり、過去のことを振り返ったりしていました。
そして、

「願ったことは、全て叶っている」

ことに改めて気づきました。

私は妊娠中、3つのことだけを願っていました。

・このきれいな空を見せてあげたい
・ママとたくさんお話をしてくれる子でいてほしい
・20歳の時に、自立していてほしい(自分で生活できる能力を身に着けていること)

彼は今、沖縄で一人頑張っています。
が、ただでさえ高校中退という不利な条件であり、沖縄では基本給が少ないということもあって、生活は苦しい様子。

運送業や観光業など色々やってみたものの、家賃・光熱費・食費・車の維持費・社会保険料などを全て払うことは難しいようで、アルバイトを掛け持ちしながらなんとか凌いでいるようです。

何をもって成功というか、何をもって幸せというか、は、人それぞれだと思いますが、
私は、20年前に願ったことがすべて叶い、子どもが今、自立して元気に社会生活を送っていることを、心から幸せだなと思ったのでした。

心から皆様にありがとうを伝えたい

ブログを書き始めてから今日までの間、信じられないくらい多くの方から、メッセージやご相談をいただいたり、講座を通してお会いしたりしました。
中には、コンサルタントとして同じ道を歩むべく、私を信じて一生懸命、密に、1年2年と学んで下さった方々もいます。

ブログを通して出会った多くの方々の、かけがえのない、一人一人の人生とその重み。

数年経ち、一部の方においては、そのお子さんの勉強を見るという形で接触させていただきながら、お子さんの成長を共に感じることができている喜びと不思議。

トビさんの成長や、高校入試、沖縄移住など、自分の子のことのように、心配したり喜んだりして下さった、応援して下さっている皆様の存在。

全くそう見えないと思いますが、私は人前に出るのがとても苦手で、今のこの状況には相変わらず慣れません。
色々と至らず、また今もって私自身も日々、紆余曲折ありますが、
トビさんが私の人生にもたらしてくれたものだと思い、大切に扱っていこうと思っています。

出産前後の様子を書いた記事がこちらです;
ダウンした時、誰がお子さんの面倒を? A.ハイ死にかけながらも私です


どれほど発達障害の程度がひどかったかを書いた記事がこちらです;
24時間戦いますか?

 

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