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子どもの発達・学力全般

子どもの発達障害の歴史を手放したい

 

長男の発達障害の歴史がつきまとう

今からさかのぼること8年前、2014年。

「発達障害の症状が、食事や生活習慣を変えることで大きく改善した」

という驚きと情報を伝えたい一心で、blogを書き始めました。
瞬く間に反響を呼び、会社員を辞め、相談対応やセミナー開催などをする活動を始めました。

おかげ様でその間にお会いした多くの方々から寄せられた応援や感謝のお声は、人生の大きな原動力となり、宝となりました。
本当にありがとうございます。

しかしながら、同時に、常に付きまとっていた思いがありました。

それは、

“私がその活動をしている限り、私の長男の発達障害の歴史を払拭することはできない”

ということです。

高校中退の学歴の壁

長男トビは、今から3年ちょっと前・高校を3年生の時に中退し、東京から沖縄に一人移住していました。
もちろん、彼が高校を中退したいと言い出した時、さんざん周囲で説得したものの、彼の意志は固く、私は彼を信頼し、失敗も含めてしばらく見守ろうと決意したのです。

中卒の学歴で働けるところというのは、そもそもが限られています。
その上、本人の気持ちとしても、なかなか続けることが苦しいものが多いのが実情でした。

たとえば、工事現場の残材の後処理をする仕事や、夜の世界でホストなどをしたこともあったのですが、その中にある”独特なヒエラルキー”によって、面倒な人間関係に巻き込まれたりすることもありました。

普通の事務系の仕事をしてみようと、出勤して事務所内で営業の電話をかけるような仕事などもやったのですが、やりがいや将来性といった、やる気の原動力になるものがどうしても生まれず、数カ月経過したところで、体調不良などを起こすのと同時にぽきっと心が折れてしまったりするのです。

こうしたことから働く気がないわけではないけれども、続かない・仕事先が見つからない、といったことが続いていました。

必要だった親子の本当の卒業期間

彼は沖縄に移住後、2年ほど頑張ってはいたのですが、その実、向こうで交通事故に遭ったり、体を壊して入院したり、慣れない土地での孤独感などもあってうまく生計を立てることができず、コロナの流行も追い打ちをかけ、四方八方、塞がってしまった状態にありました。

そんな中、昨年、父親の強い進言もあり、東京に帰ってきていました。

これからの住むところや仕事の紹介など、協力をしてほしいとトビが私を頼ってきたので、私はいくつかの条件を出し、私の住まいの目と鼻の先にある事務所を住まいとして無償で貸すことにしました。
去年の6月のことです。

そこから約半年間、ほぼ毎日、連絡を取り合ったり、時折、食事を共にする時間を過ごしました。
私は離婚後、家を出されてしまったこともあり、トビとこうして過ごすのは、約4年ぶりでした。

後に、この期間は、様々な意味において大切な卒業期間となります。

心の奥に抱えている苦しみなんてわかってもらえない

無意識に壊したくなる

そうした中である時ふと彼が、

「なぜだかわからないんだけど、ある程度、自分のことを理解してくれるような関係性になると、そこから逃げたくなってしまう。壊してしまう。」

と言いました。
最初のうちは頑張れるけど、その実、自分はそこまでできる人間じゃないから、途中で苦しくなってしまうのだと。

実際彼は、一見、すごく仕事も出来るように見えるし、ちゃんとしているように見えます。
これは彼がまだ小学生の頃からそうだったのかもしれません。

「トビくん、そんな風に全然見えないのにね~」

という言葉は、本当によく聞きました。未だによく言われます。

第三者から見える姿と、心の中で抱えている、
”いかに当たり前のことをしようとふるまうことが苦しいか”
というギャップは、説明してもなかなかわかってもらえないものです。親の私も、説明したところで十分に理解してもらえないことが多すぎ、最初からあきらめてしまっている部分も多分にあったくらいですから、本人はいかばかりかとも思います。

続く負のスパイラル

天気の悪い日は猛烈な眠気、2日間起きられない

中でも一番苦労しているのが、

「天候の良くない日は、記憶があいまいになるほど、猛烈な眠気に襲われ、2日くらい眠り続けてしまう」

ことでした。抗えないほどの睡魔で、気を失ったように眠ってしまい、起きられないのだそうです。
それで会社をクビになってしまったこともありましたし、私との約束も何度か守れず、私に猛烈に説教されたことも度々ありました。

トビ本人だってもちろん、苦労せず、毎日同じ時間に起きたり、頑張ろうと思ったことを、頑張ろうと思った分だけ頑張る、ということを普通にしたいだろうに、と思います。

しかし、そうできない。

沖縄にいた際に、急激にひどく痩せてしまったことに様々なストレスが加わり、うつ状態のようになってしまったのです。一旦ここまで落ちてしまうと、なかなかここから抜け出すのは難しいものでした。せっかく中学時代には、食生活改善によってあんなに心身ともに健康になり、高校生活も駆け出しはとても良かったのに、と残念でなりません。

働けないストレスと借金だけが膨らんでいく

でも、仕事をしなければお金を稼げない。お金がなければ何も手に入らない。
日銭を稼ぐために身の回りのものを売ったり、日雇いのバイトをしたりして、切り詰めつつ何とか生活するものの、足りない。

私だけでなく、元夫や周囲の人々も相当サポートしてくれていましたが、今現在の日常生活だけでなく、過去の未払い請求や、車のローン代、沖縄にいた時の家賃代など、細々としたものも合わせると相当な額になり、これで清算、次こそは・・・と約束をして新しい仕事を始めても同じことの繰り返し。

負のスパイラルが続き、本人も周囲も、どんどん気持ちが苦しくなっていきました。

子どもの人生を尊重する切り替えの時期

覚悟を問われ、何かが大きく変わった

国の補助を得るならそれなりの覚悟が必要

私の生活自体も既に赤字続きになってしまい、これ以上は無理だし、彼の先々にとっても良くないことだと思い、

「まともに働けないのなら、生活保護を受ける申請をしなさい。そのために、再度、精神科で相談をしましょう。」

と、彼が小学生の時にお世話になった、都立大塚病院児童精神科にいらっしゃった原先生が開業された病院を訪ねていくことにしました。

原先生に会う前に、カウンセラーの男性の先生とお話をしました。
そこで、具体的に、どのような選択肢があるのか・手続きがあるのか、といった説明を一通り受けました。

結論からいうと、生活保護を受けるためには、まずは私と関わっていること(事務所を住まいとして貸していたり、私が學院長だった通信制高校に通っていたことなど)を全て無くすこと、その手続きが済んだ後に、精神障害者としての手帳をもらう段取りをするが必要ということでした。

つまり、とても分かりやすく言いかえると、

「普通に働けず、国の補助を受けたいのなら、障害者として生きていく覚悟をしなさい。」

ということだと理解したのです。
そりゃあそうだろうとも思います。

私自身、一生懸命働き、なけなしのお金から、たくさんの税金や社会保障制度のためのお金を真面目に払っているわけで、
”本当に困っている人のために使われるならわかるけど・・・”
となります。

我に返ったように、世界が全く違って見えた

病院を後にして、トビと二人で電車に乗って帰ったわけですが、何とも言えない疲労感が全身を襲い、二人ともぐったりしていました。
(余談ですが、病院にいくと、よくこうなります。何となく病院という場の持つ独特の力とでもいうのでしょうか、そういうのを受けやすいようです。)

疲れたと言ってうなだれたままでいるトビの後ろ姿は、昔の元気はつらつだった頃の面影は全くなく、別人のようでした。
沖縄で一人、お金がないためにほとんど水だけで過ごした日々が仇となって、半分にやせ細り、ユニクロの女性サイズの服でさえダボダボになっている華奢な後ろ姿を見て、猛烈に私の中でこみあげてくる感情がありました。

「あれ?私は、この子をこんな風に育てたかったんだっけ?」

堰を切ったようにあふれ出る思い

その後、体の奥から勝手に涙があふれ出て止まらず、なんと11時間も泣き続けてしまいました。

こんな風に、
「体が勝手に泣く」
という経験は、人生、2度目でした(1度目は、育ての父を亡くした折)。

おそらく、その堰を切ったような思いの中には、そもそもが、自分の生い立ちのこともあり、幸せな家庭をただ築きたかった希望や、手のかかる育児とうまくいかない夫婦関係に翻弄され苦しかった日々、食生活改善によって発達障害の症状が改善された喜び、それを伝える仕事をしていく中での様々な葛藤などがごちゃまぜになっていたように思います。

中でも一番は、先に書いた通り、私が自分の活動の原点を伝えようとすると、どうしても長男トビが発達障害の症状がひどかったことに触れざるを得なかったことでした。

もちろん、掲載にあたってはこれまでも長男の許可を得てきましたし、彼自身は、別に構わないよと言ってくれていますが、いつまでもそのレッテルが貼られ続けてしまうことは当初から懸念してきたものであり、だからこそ、今はそうじゃなくなったと言いたいんだ!という活動につながっていったものでもありました。

最後に顔を出した”正体”は・・・

私がしたかったことは、ただシンプルに、子どもたちを愛すること、幸せな家庭を築くことでした。

だから、長男トビが色々と苦労しなくてはならない人生を送ることになってしまったのは、私のせいだと心の中で自分を責め続け、その責任を負うべく、何とかできることをしてあげようと努力してきたように思います。

彼が多感な時期、高校入学とともに離婚してしまったこと、それまでの数年間の家庭内不和、時代的に情報が無く、仕方なかった部分も大きいとはいえ、発達障害について無知だったことで、随分とかわいそうな思いをさせてしまった幼少期などへの大きい罪悪感・・・

ずっと私はそんな想い=罪悪感を抱えて生きてきたのです。
私はここまでやって初めて、いかに自分が罪悪感に縛られていたのかということを改めて思い知ったのです。

手放しと同時に自分も”捨てる”ことを決断

同時に心のどこかで、こうした仕事をしている以上、トビが最終的に良い形で自立することこそが、皆様への希望を届けることになる・トビにちゃんと自立してほしいと願っていました。

でも、もしかしたら、そうした思いを強く握っていることが、結果として逆の事象を引き起こしているのかもしれない、とも思ったのです。

「彼ももう22歳になるのだから、この先、どう生きていくかは彼の責任」
「事件、事故に巻き込まれないか心配でたまらなかったが、それも含めて彼の人生」
「中途半端に関わっているから、心配もしてしまう。きっぱり援助をやめよう。」

仮に障害者手帳をもらって生きることを彼が選んだとしても、それも含めて彼の自由だと、そう思えるだけのことを、やり切ったな、と思えました。
そう思いきるためにも、今回、4年ぶりに半年間、近くで暮らしたことは、私にとって必然かつ必要なステップだったと思えました。

発達障害や不登校といったことを軸に長く仕事をしてきましたが、幸い、コロナのこともあってオンライン化も進み、時代の変化もあり、急速に、様々な個性を認める方向に動き始めました。

これまでの発達障害に軸を置いた仕事の方向性を軌道修正し、ようやく本当にやりたかったこと、

「子どもの可能性に光を当てること、伸ばすことが喜び」

という原点に返った、国語塾という仕事に軸を置いていこうと思ったのです。
(もちろん、その守備範囲には、発達障害の症状を持つお子さんや、不登校で悩むお子さんも含みます。)

手放しと同時に起こったいくつかの変化

不思議なもので、それを決めてから私は、猛烈な体の不調に次から次へと襲われました。

しかしながら、それがきっかけとなり、結果として、発達障害や不登校に強く結びついていたご縁がいくつか消えていきました。
さらにそれにより出来た時間で、できること・できないこと、やりたいこと・やりたくないことなどが少しずつクリアになっていきました。

また、トビに対しては一切、援助をしないことを決め、1月末で事務所を出てもらうことにしました。

彼自身、あの精神病院で言われたことは、相当なショックがあったのでしょう。
その選択は最後の最後にしようと思う、もう一度頑張ってみると言い出しました。

なんとか4月以降就職できるように頑張ると言い、それまで友人の家の一部を一時的に間借りし、アルバイトをかけもちして費用を捻出。
有言実行で、ついに5月から、正社員として働けるところを見つけてきたのです。
住むところも家賃補助が出るとのことで、決めてきました。

なんだかんだ言っても、昨年度、頑張って通信制高校で高校3年生からやり直し、高卒の資格を取得したことも、そこを評価してもらえたとのことで、大きくプラスに働いたようです。

しっかり食生活改善をすれば本当は心身ともに良い状態を維持できるのだ、という、経験に裏打ちされた希望があったことも大きいものだったように思います。

それまでも、彼なりにできる範囲で食生活に気を付けたり、サプリメントを摂ったりしていたようでしたが、やはり、
”こうすればよい状態を維持できる、という自分の記憶を持っている”
ことは、人生において大きい支えになりますね。そういう意味でも、今、一生懸命、食生活改善に取り組んでいる方は希望を持っていただけたらと思います。

何より、言葉で伝えたわけではないのですが、私が握っていたものを手放すことで、重く滞留していた「罪悪感」のようなものがふっと流れてなくなったことが、私にとってもトビにとっても、非常に大きいのかもしれないなと感じました。

「本気で」

手放すことは、とても勇気のいることですし、時には一時的に多くのものを失うかもしれません。
ですが、きっとそれ以上の何かがその先に展開していくと信じています。

感謝のお声

子どもの発達デザイン研究所では、学習指導と合わせて、食生活アドバイスもしております。

子ども研の国語塾


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