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代表倉澤の体験談など

Q.ダウンした時、誰がお子さんの面倒を? A.ハイ死にかけながらも私です

24時間戦いますか?
という記事を書いた際、こんな質問をいただきました。
「ママ ダウン・・・とありましたが、こみやさん(代表 倉澤の旧姓)がダウンされていらっしゃる時に、お子さんの面倒を誰がみていらしたのですか?」と。
ㅤㅤ
私にご相談下さる方の半数が、同じように、
「誰も子供をみてくれる人がいない」
状況で戦っていらっしゃるので、代表してお伝えしたいと思います。

誰も頼れない中での孤独な妊娠・出産

実家が全く頼れない

私の場合は、ちょうど私が長男を宿した時、実家の両親が倒れました
そもそもこの両親とは血がつながっていないので、子どもができなかった母は私の存在が疎ましかったこともあり、ずっと関係が悪かったという複雑な事情もありました。
私に子どもができたことで感情的になり、激高しすぎて倒れてしまったのです。
親戚を巻き込んだ騒動となり、元から体の弱かった父も心痛で倒れ、そのまま闘病の末、他界してしまいました。

義実家が全く頼れない

そしてなんと同時に義父母の大借金&一家離散騒動が重なってしまったのです。
夫(元夫のこと。以降同じ)は、義父の経営する会社の借金の資金繰りに奔走したり、税理士さんや弁護士さんとの打ち合わせなどで皆、バタバタしていました。
それだけでなく、親戚一同を巻き込んだ大喧嘩に発展してしまい、とても私の妊娠・出産を祝うどころではありませんでした。

夫もほとんど帰宅することができず、一緒に名前を考える時間も全くないまま、次から次へと襲い掛かるストレスにより私は突然破水し、1ヶ月早い早産となってしまったのです。

出産した日に義母が交通事故に遭遇

さらに出産してたった数時間後、なぜわざわざこのタイミングだったのか今でも悲しい気持ちになるのですが、義母が交通事故に遭ってしまいました。

夫も、もちろん義父・義姉も、義母の何度かに渡る手術立会いと看病に回らなくてはならなくなり、妊娠中はおろか、出産後まで孤独となってしまったのです。

産後しっかり休まないと一生引きずる体のダメージを負う

股関節が開いたまま戻らずうまく歩けなくなる

私は産院で1週間の入院後、退院した足で、そのまま休むことなく一人で掃除・洗濯・炊事、そして赤ちゃんの世話をしなくてはなりませんでした。

そして間もなく、いかにこれが良くなかったかを痛感します。

出産用に開いた骨盤が戻らないのです。

ソファに座れば骨盤がぐにゃっと開いて痛いのです。

また、股関節がガコガコいうので階段をまっすぐ下りられません。
手すりにつかまり、ゆっくりとぐるぐる回転しながら降りるありさまでした。

大量出血が止まらない

なんといっても困ったのが、
「大量出血が止まらない」ことでした。

通常、少しずつ少しずつ出血(悪露=おろ といいます)は減っていくはずなのですが、体が休めず、子宮にも負担がかかったのでしょうか、とにかくすごい出血量で、1か月経っても止まらないのです。

産後の肥立ちは大切だとよくいいますが、本当に1ヶ月くらいは、赤ちゃんの世話だけにして、家事炊事は休まないとだめですね。

極度の寝不足

新生児には、3時間おきにミルクをあげないとなりません。

私の場合は、ストレスが大きすぎて全く母乳が出ずミルクだったので、授乳の前後にミルクを作る作業と、哺乳瓶を洗い片付ける作業の20分近いロスが出ます。

さらに、24時間戦いますか?の記事にも書いたとおり、たった30ccのミルクを飲むのに30分かかるような子で、飲んだら吐くため、着替えと洗い物で、バタバタしているうちにもう次の3時間後のミルクの時間になってしまいます。

そのため、毎日ほとんど寝ていないという日々が長いこと続くのです。

・大量出血
・骨が戻らない
・慣れない育児
・極度の睡眠不足
・実家の両親の入院
・父の危篤
・義父母の借金
・義母の入院
・ものすごく手のかかる子

という、何重にも苦行が重なる中、誰も頼れないので、自分がみるしかありません。

疲弊しすぎた状態が負のスパイラルを招く

食べる元気がない

もうここまでくると、冷蔵庫に入っている食べ物をレンジで温める、という作業すら、できないのです。疲弊しきっていて。

体を曲げることがつらいのです。なぜならほら、骨も戻っていないし、大量出血してるし・・・。

だから、フランスパンみたいな長いぶどうパンまとめて買ってきてもらい、それをあちこちにおいて(食器棚、洗濯機の上、押入れなど)、赤ちゃんをあやしながら立ち食いするのです。
もう、毎日、朝・昼・晩とぶどうパンオンリー。いいわけないですよね。

でももうそれ以上でも以下でもない、それしか選択肢がなかったのです。

免疫力の極度の低下

そんな状況で、赤ちゃんだった長男がしょっちゅう、なんやかやと病気をもらってきては私にうつすのです。

もう、免疫力も相当落ちていただろう私にはなすすべもなく、私の体にはドラえもんに出てくる「なんでも蛇口」のように、全身に蛇口がついたんじゃないかと思うくらい、吐きまくり、下痢しまくり、出血しまくりました。
ㅤㅤ
正直、よくこれで生きていられるなと思うくらいでした。

それでも自分しか面倒を見ることができない

気を失いつつ赤ちゃんのお世話

それでも子供の面倒を見ないとならないのです。

すごく小さいうちはもう、どれほど泣いていても、もう背に腹は変えられませんから、長男が泣いているそばで吐きまくります。
下記写真のようなもの(ベビージム)を、まだ寝返りがうてない長男の上に置いて、しばらく遊んでくれている間、気を失う、という感じでした。

すこし小康状態になると、長男には何かしら目新しい日用品を握らせ(たとえば今日は洗濯物を干すピンチ、今日は料理用のおたまというように)、30分~1時間程度、遊んでいる長男の隣でぐったりしたまま横たわっています。

飽きてきた長男に髪の毛をむしられようが、リモコンで殴られようが、もう放置です。
そんな痛みなどもうどうでもいいくらい、体がぼろぼろなのです。

人に頼む元気すらない

誰かに頼んだらと思う方もいらっしゃると思いますが、電話をしたり、玄関のピンポンが鳴って、そこまで歩いて出て行く気力・体力すらなかったんですよね。。。

なので、電話はいつも留守電、玄関には
「赤ちゃんがいるので、ベルをならなさないで下さい」
と貼り、常時、雨戸を閉め切っていました。

1歳半もすぎるとビデオを見たりしてくれるようになるので、私の体調が悪い時はもうかわいそうでしたが延々と一日中、アンパンマンや、ドラえもんなどのビデオを見てもらっていました。

余談ですが、3歳前後にウルトラマンにはまった時には、死んでいる私をおかまいなしにキック&パンチしてきたりしたので、あれはもう地獄でした。

とてもじゃないですが、当時の苦労は書ききれません。
もちろん、こんなですから、私もしょっちゅう、救急車で運ばれたりしていました。
でも赤ちゃんをみてもらえないので、すぐ帰るしかないという…(泣)。

次から次へと病気を併発

もう栄養失調で、くしゃみしただけで肋骨も折れ、ちょっとぶつけただけで、足や手の甲&指を骨折。

骨粗しょう症に、メニエール病に、バセドウ氏病に、卵巣肥大&炎症にと次から次へ発症してしまいました。

次第に近所での知り合いも増え、少しずつ楽にはなってはくるのですが、こうした状況へご想像がつかない方のご参考に少しでもなれば幸いです。

なにせ、今この状況にいる方は、とてもじゃないけどこういう状況だという声を発するエネルギーすらないと思いますので、どうか周囲の方は想像力を少し働かせて差し上げてほしいなと心から願います。

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