母親を救うことが先である
児童虐待防止法成立
改正児童虐待防止法成立 2020年4月に施行 というニュースが流れました。
改正法では、
親は「児童のしつけに際して体罰を加えてはならない」とした。児童福祉施設の施設長らによる体罰も禁止する。体罰の範囲については厚生労働省が今後指針で定める。
だそうです。
手のかかる子ども × 自己を律する力が弱い大人の背景
今、子どもの発達障害や不登校、引きこもり、ゲーム依存など様々な問題が浮き彫りになっていますが、これは子どもに限ったことではなく、親世代、祖父母世代といった大人も同じで、昨今の様々な事件やニュースを見聞きするにつけ、
「なんだか社会全体がおかしくないか?」
といった印象を持つ方も多いのではないでしょうか。
一言で言えば、大人であることの一つのラインである「理性」「自分を律する力」が欠け、感情むき出し、後先を考えることができない暴力的な大人が、増加しているように感じるのです。
手のかかる子ども × 自己を律する力が弱い大人
こうしたケースによる虐待が増えているように思えます。この背景には、
・住環境
・食生活
・家族関係
といった、家庭生活における土台の大きい変化とともに、
・電磁波を発する様々な家電などの普及
・天然素材ではない工業製品の普及
・医療技術の進歩
といった、様々なものがあまりにも急激に変化したことがあることは疑いの余地はないでしょう。
人間の体の機能が追い付いていない上に、それがどこまで人体に害があるのかわからないまま、心と体が大きく変調している、といえますね。
頭のどこかではそうだとわかっていても、掘り下げて、例えば人体の細胞レベルで行われている化学変化まではそうそう考えることはないため、その深刻さがピンとこないといったこともあるかもしれません。
孤独で一人様々なことを抱えている母親が多すぎる
そしてもう一つ、
母親の苦労に対する理解があまり進んでいない
こともまた大きい要因だと思います。
SNSの普及などにより、大分実情が伝わるようにはなりましたが、当たり前のように
「育児は幸せに満ちた楽しいもの」と
いったイメージが、様々な形で日常にあふれているのではないでしょうか。
いずれにしても、未来のある子供を救わなくてはならないのはもちろんではあるのですが、育児を通して見えてくるものは、孤独で一人様々なことを抱えている母親が多すぎる、ということです。
寄せられるご相談では、大なり小なり、ほとんどの方が下記のような現状を強いられています;
- 子どもに手がかかる
- 夫が非協力的
- (義)両親や(義)兄弟・(義)姉妹の無関心または過干渉、無理解
- 保育園や学校・地域の無理解
無理解の最大要因はその過酷さが客観視できないこと
母親に対する無理解の背景には「その過酷さが客観視できないこと」にあります。
子どもの手のかかり具合や、母親の体力・持久力などといった個人差が大変大きいため、自分または自分の妻が過酷な経験をしていないと、全く想像できない方も多いのです。
私小宮も、会社員時代は毎日まともに寝食できないほど多忙で、会社に泊まり込み、大きな事業を背負い、部下やお取引先様とのやり取りで大変な思いをしていました。
妊娠・出産の経験がなかった頃は、恥ずかしながら主婦業を軽く見ていました。
自分のほうがずっと大変なはずだ、自分が抱えているのは一人・二人じゃない、何人もの部下と、お取引先様の社員全員と、億単位の仕事だ。
それに比べたら、母親がみる子どもの人数なんてたかが数人、扱う金額だって数万からせいぜい数十万。
話にならない。
そんな具合です。
おそらく、同じような男性は多いと思います。
あのままいたら、仕事はもしかしたらできたかもしれないけれども、人としては全く無能な人間になっていたと思います。
母親が大変な本当の理由
なぜ(特に乳幼児を抱える)母親が大変なのか。
「24時間365日、自分の意志で休むことが全く出来ないこと」
一言で言ってしまえば、これに尽きます。
どんなに仕事が忙しくても「ひと段落」というのがあります。それがたとえ5分でも、一服できる瞬間がある。
体調が酷く悪ければ、仕事に順位と段取りをつけて、なんとか決められた期限内に終わらせようと、ある程度できることがある。
でも育児にはそれがないのです。
私は仕事でまる5日間、ほとんど飲まず食わずで作業に追われた経験がありました。
もう体も心もボロボロです。
「育児はそれよりも大変だ」と思いました。
自分の意志ではどうにもコントロールできない日々が何日も・何カ月も・何年も続くしんどさといったら、例えようがありません。
眠かろうが、吐くほど体調が悪かろうが、高熱があろうが、
「ちょっとだけでいいから休みたい」
が叶わないことの苦しさ。
あまりの過酷さからくるストレスから、私の場合は、そのはけ口としてそれまではほとんど口にしなかった甘いものを大量に食べるようになり、結果、イライラが激しくなって自分でも自分が恐ろしくなるほど、ささいなこと=例えば、缶のフタが開かないといったようなことで、猛烈にカーッとなったりしていました。
幸い、頭のどこかで、これが行き過ぎると子どもに刃が向いてしまうのだろうな、それだけは何としても避けなくては・・・という思いが残っており、紙一重のところで制御できましたが、危ない綱渡りの日々だったと思います。
こうしたストレスは、体の中で様々な化学変化を引き起こします。
たとえば感情や思考といった心のもとになるホルモンが正しく作られなくなったり、本来は代謝に回るはずのエネルギーがストレスに戦うために使われるため、体に処理しきれない不要物質が溜まり疲れやすくなったり、遺伝子発現がOFFになったりなど挙げたらきりがありません。
その結果、人によってはがんになったり、精神を病んでしまったり、理性を失って暴力的になったりしていきます。
手を貸す、心によりそう、といった協力が必要であると同時に、体に必要なものを分子栄養学的な観点から、正しく摂取することで心も体も安定を保つことが出来ることを知っておくこと
もまた大切なのです。
執筆:代表小宮